君の後ろ髪を引かせて【前編】 - 3/7

 

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 春組夏組の公演が終わり、次はいよいよ俺たち秋組の番だ。俺は夏組のヘルプとしてアップしていたこともあってそれなりに体も温まっていたし、何より早く板の上に立ちたくて仕方がなかった。熱い芝居を見ると心が躍る。大学で学んだ体の動きを、早く自分の表現として昇華させたい。そして、またアイツと勝負がしたい。その気持ちは変わらないのに、このところ兵頭の様子がおかしい。以前までは少しからかえば小競り合いのような掛け合いが始まっていたが、最近は俺の挑発に乗ってこなくなった。だからこちらも躍起になって、ゴリラ女だのかわいくねーだの、ガキみてぇな罵声を浴びせてヤツの怒りを誘うが、そうするとよけいに乗ってこなくなった。わけが分からない。同じ板の上に立つ者同士、コミュニケーションがはかどらないのは良くないことだが、喧嘩でないと話せねぇわけでもなしと放置していた。だけど俺らは事実、小競り合いでもしていないとまともに会話もしないような関係だった。何度も一緒に舞台をこなし、毎日顔を突き合わせて、部屋だって同じなのに。その事実に愕然としたのは、つい最近のことだった。

「たっだいま〜! 姉ちゃん、姉ちゃん!」
「おかえり、九門。椋も一緒だったのか」
「うん、ただいま、十ちゃん」
「十座サン、俺も俺も!」

 夕方、どやどやと高校生組が寮に帰ってきた。ひときわ騒がしい奴が固まって帰って来たこともあり、寮内がぐっとにぎやかになる。談話室のソファで寝ている密さんがピクリと反応したが、起きることはなかった。この人は、誉さんがマシュマロで釣るまでどんなにうるさくしても目を覚まさない。とはいえ、夏組に新メンバーが入ってからMANKAIカンパニーはさらに騒がしくなった。その中心に居るのが兵頭の弟、九門だ。九門は超が付くほどのシスコンで、姉貴を見つけると金魚のフンかよってくらいついて回っている。俺にも姉貴は居るが、想像もできないほどの懐きっぷりだ。

「あ〜〜! 学校から帰ったら姉ちゃんが居る…しあわせ…」
「こら、九門。動きづらい」
「え〜、いーじゃん! 姉ちゃんが劇団に入ってから毎日会えなくて、寂しかったし…」
「九門…」

 いや、そこでほだされるのかよ。弟も弟だが、姉貴も相当なブラコンだ。腰にひっ付いた弟の頭を、デレッデレの顔で撫でまわしててムカつく。

「いや〜、微笑ましいっていうか、俺にしてみればちょっとあり得ないくらい姉ラブな弟だなぁ」

 俺と全く同じ感想を漏らしたのは、同じく姉を持つ弟である至さんだ。今帰って来たところらしいが、いつもよりやけに早い。

「今日は早いんすね。おかえりなさい」
「ああ、取引先から直帰したんだよ。今日の生配信、やっぱりアーカイブじゃ嫌だからさ。仕事調整して帰って来た」
「クソ社会人かよ…」

 今日の20時から俺と至さんがランキングを争っているソシャゲの公式番組がネット動画で生配信されるのだが、このゲームオタクは仕事をかなぐり捨てて生配信のために帰って来たというのだ。公私を驚くほどキッチリ分けているこの人のことだから仕事には支障のない範囲に収めているのだろうが、理由が理由だけに微妙な気持ちだ。俺も真面目な性質ではないが、こういう大人にはなりたくない。

「俺には救うべき世界があるからな。配信付き合えよ」
「へーへー、分かりましたよ」

 今日は金曜日だから、どうせ配信を見た後は世界を救う旅に付き合わされるのだろう。徹夜とかマジ勘弁してほしいんだけど。適当に切り上げようと思いながら兵頭姉弟に視線を戻すと、アイツらはまだベタベタとくっついていやがった。

「九門、そろそろ離れろ。さっきまで自主練してたんだ、汗臭いだろ」
「臭くなんかねーし! いいにおいするし!」
「うわっ、おい」

 九門の野郎、兵頭の首元に顔を突っ込んでぐりぐりとデコを擦り付けだしやがった。つくづくこの姉弟は距離感がおかしい。

「じゃあさ、久しぶりに一緒に風呂入ろ!」

 九門が落とした爆弾の内容を理解するまでに数秒を要する。

「は!?!?!?!?」

 その場に居た野郎の声が重なった。

「まぁ、構わねぇが…」
「なんでだよ構えよ!! 高校生にもなって姉貴と風呂入るとかあり得ねぇだろ!!!」

 兵頭は何でもないように首を縦に振る。久しぶりに、ということは今まで普通に入ってたってことかよ。信じらんねぇ。…もう一回言うぞ、信じらんねぇ。

「何だよ、万里も姉ちゃん居るんだろ? 風呂くらいフツーに入るじゃん」
「入るか!!!!!! 入ったことねーよ!!!!!ぶっ殺されるわ!!!!」

 不思議そうに聞いてくる九門が怖い。常識的に考えて、年の近い姉と裸の付き合いなんてあるはずがない。俺が自分の姉ちゃんを一緒に風呂に誘おうものなら、ビンタの後、重りを付けて海に沈められるに決まってる。ていうかまず、一緒に入りたいとも思わねぇ。なんだ、兵頭家はどうなってんだ。たまらなくなって椋に目をやると、たちまち顔を赤くしてうつむいてしまった。椋、まさかお前も入ったことあんのか。

「至さんも何か言ってやってくださいよ!」

 世の中の姉と弟というのは、もっと殺伐とした、主従関係の上に成り立つものだ。姉は君臨し、弟はそれに従う。プリンを買って来いと言われれば深夜でもコンビニダッシュするし、買い物に付き合えと言われれば一日荷物を持つ機械と化す。弟なんてそんなものだ。おそらく同じようなタイプの姉を持つ至さんなら、この異常事態に異を唱えてくれるはずだ。

「チクショーーーーーーッ!!!俺も一緒に風呂入ってくれるエッチな姉が欲しかったなーーーーーーーーッッ!!!!」
「ッッタルサァーーーーーーーン!!!!!!」

 頼みの綱は俺の期待を裏切り、床にくずおれて拳を叩きつけ、悲痛な叫びを漏らした。違う違う、今アンタに求めてんのは、そういう反応じゃねぇ!

「姉と風呂イベとかどこのギャルゲーだよ! 裏山が過ぎるだろ!!! チクショウ! 十座!! 俺も弟属性だから一緒に入っていい!?!?」
「いやそれはちょっと…」
「属性って何だよコラ!!! どさくさに紛れてとんでもねぇこと言ってんじゃねぇ!!」

 さすがに拒否する兵頭に安堵しながら、暴走する弟同盟の片割れを怒鳴りつける。そんな属性が許容されるなら、俺も弟だってんだ。

「じゃ、じゃあオレっちは!?」
「まぁ、太一くらいなら…」
「マッ、マジすか」

 おいやめろ、真顔になるな。気持ちは分かるが、ハチャメチャにムカつく。ああ、本当に腹が立つ。兵頭が女だと意識したことはないが、コイツも周囲に男ばかりだという環境をあまりに意識してなさすぎる。

「太一くらいならって何だよ!! 年下なら誰でもいいのか!? じゃあ俺とも入んのかよ!!!!」
「はぁ? 誰でもいいわけねーだろ。何でそんなキレんだよ気持ちわりぃ。お前は年下じゃねぇし、そうだとしてもお前だけは絶対に嫌だ」

 頭に血が上りすぎてとんでもないことを口走ったが、バッサリと切り捨てられる。そうじゃなきゃおかしいんだが、太一がよくて俺がダメだっていう基準に自分でも不思議なくらい腹が立って仕方がなかった。

「…九門、ここじゃお前もダメだ。一人で入るか、コイツと入れ」
「え〜、ヤダ! ワンレンが伝染る!」
「伝染んねーって言ってんだろぶっ飛ばすぞ!」

 収集が付かないと思ったのか、兵頭は話をブチ切ると九門を置いて談話室を出て行ってしまった。シン、と騒がしかった談話室が急に静かになる。

「あーあ。クソ万里のせいで姉ちゃんに怒られた〜」
「九ちゃん、十ちゃんは怒ってないから大丈夫だよ」

 嘆く九門に、慰める椋。いつもの風景が戻ってきたが、腹のムカつきは収まらない。もう怒鳴る気も失せて、力任せにドカっと音を立ててソファに座った。密さんが迷惑そうな声を上げたが、知ったこっちゃねぇ。

「フラれたな、万里」

 後ろから、にやけ顔のダメな大人が顔をのぞかせる。

「至さんが掻き回すからっすよ…」
「あれ? 俺はお前に助け船を出したつもりだったんだけど」
「ンな泥船で誰が助かるんだよ」

 危うく難破するところだったっつの。血圧を上げすぎて頭がクラクラする。まったく、何で俺がこんなに腹を立てなきゃなんねぇんだ。

「万里さ、十座のことになると途端にアホだよな」
「はぁ? なんすかそれ」
「そのまんまの意味だよ。マジで無自覚なの? 逆にスゴくない? 今時アニメでもここまで重症なヤツは居ないよ」
「至さん、マジ何言ってんのか分かんねぇっすけど」
「うわ、天然、天然モノだよ椋。トキメキ通り越して引いちゃわない?」

 至さんは傍に居た椋を引き寄せ、わざとらしく耳打ちするようなしぐさをしながら、またわけの分からないことを言った。

「え、えっと…ボクはゆっくりでも、歩み寄れたら素敵だなって思います……」
「はぁ〜〜〜癒し。咲也に負けず劣らずのマイナスイオン」

 椋のふわふわ頭を撫で始めた至さんを意識からシャットアウトする。何が無自覚だってんだ、全部わかったような顔してうざったい。ムカつくから、世界を救う旅には付き合ってやらないことにしよう。

「ねぇ、万チャン」
「…あんだよ」

 太一がこちらを伺うように、上目遣いで話しかけてきた。入れ替わり立ち代わり、鬱陶しい視線を向けてくる奴らにうんざりする。

「さっきは俺も調子に乗っちゃったけど、あんまりカリカリしないでね」
「してねーし。意味わかんね」
「…そっか。でも俺、万チャンのこと応援してるよ」
「はぁ?」

 何の応援だよ。そう聞こうとしたけど、面倒くさくなってやめた。
 結局その日は、九門を含め談話室に居るメンバーでまとめて風呂に入った。