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「それでさ、セッツァーったらもう大学の人気者でさ、ファンクラブできる勢いじゃね!? ってカンジなの! マジやばたん!」
食後の談話室に、一成の声がかしましく響く。誰かが「新しい学校生活はどうだ」と聞いたことに始まった話題だが、だいぶ内容がそれてきた気がする。
「え~! やっぱ万チャン、大学でもモテるんスね~~。いいなぁ」
「講義ごとに違う女の子が横に居るってもっぱらのウワサだよん。ニクいねぇ、このこの!」
「っせーな。向こうから勝手に寄ってくるだけだっての」
「ウワ~~~~~! そのセリフ言ってみてぇ~~~~~~ッ!」
太一の反応は相変わらず大げさだが、講義室を移動するたびに違う顔が寄ってくるのは本当だ。大半が同期生だったが、たまに化粧慣れした3、4年生の先輩も居た。講義が終わればこの後は暇かとやたら聞いてくるし、舞台の稽古があるからと断れば劇団のことをしつこく聞いてくる。少し前まではそういう女の相手をするのも嫌いじゃなかったはずなのに、今は無性に鬱陶しく感じられた。特にMANKAIカンパニーにはそういう女を近づけたくなかった。
「十座サンはどうすっか? 大学、楽しい?」
「ああ、やっぱ好きなことを勉強できるってのはいいもんだな。高校ン時みたいに怯えられることも少なくなったし…」
「怯えられるどころか、結構人気あるよな、十座」
そういえば、といった風にこぼした綴の声に、耳だけが動く。
「人気なんてねぇっす。視線はしょっちゅう感じるけど、話し掛けてくる奴はいねぇし…」
学ランを着なくなって髪が伸びたとはいえ、相変わらず私服はメンズが基調のパンツスタイルなのだ。おおかた、物珍しさに遠巻きから見る奴らしかいないのだろう。しかし綴はそんなことない、と言って譲らない。
「この間、学内フォトコンで大賞取った伏見さんの写真。アレで一躍有名人だもんな」
「いやぁ、アレは俺の人生の中でも最高傑作だ」
ハハハ、と満足そうに臣が笑う。ていうか、なんだその写真って。俺は知らないぞ。
「写真って何ですか? 姉ちゃんの?」
シスコンが食いついたところを見るに、その写真を知っているのは葉星大組だけのようだ。
「そうか、まだ皆には見てもらってなかったな。ちょっと持ってくるから待っててくれ」
「お、臣さん! 皆には見せない約束だろ!」
「あれ? そうだったか?」
抗議する兵頭を軽くいなして、臣は部屋に戻っていった。兵頭は赤いやら青いやら不思議な顔をして項垂れている。そんなに恥ずかしい写真なのか? 臣がそんな写真を撮るはずはないとは思うが。
「ていうか、見せない約束って何。オレの衣装に文句でもあんの?」
ずい、と詰め寄ったのは幸だ。おいおい、コイツも一枚噛んでんのかよ。
「いっ、衣装に文句はねぇ。着てるのが俺だから、なんというか、申し訳なくて…」
「はぁ? アンタに似合うように作ったつもりなんだけど。オレのセンスが負けるわけないじゃん。変なところでネガティブになるな」
「ま、まぁまぁ幸くん。十ちゃんも、隠したりしないで見せてほしいな」
眉を怒らせる幸と困り顔の兵頭の間に椋が割って入って宥めている。兵頭も椋は無下にできないらしく、低く唸りながら頷いた。
「臣さんの写真の腕なら、カッコよく映ってるだろ。映ってんのが十座さんなら尚更」
天馬も不思議そうだ。毎回、公演のフライヤーは臣の写真を使っているんだから、その腕はみんな周知のことだ。まぁ、難があるのは被写体の方なのだろう。大根役者は写真を撮られるのもヘタクソなのだから。
「…いや、あれは…みっともねぇ…」
「そんなことない! 姉ちゃんはケーキ食べてるときもカッコイイんだからな!」
いやそれはないだろ。ツッコミを入れようとして、やめた。シスコン九門は姉ネタでイジるとめんどくせぇから。
「いやいや、ケーキ食べてるヒョードルはめっかわじゃん?」
「滅…革…?」
「めちゃくちゃカワイーってこと!」
「は、はぁ…」
「いやそれはないだろ」
一成が変なことを言うから、言わないでおこうと思ってた言葉がぽろりと口から滑り落ちた。ギロリと兵頭に無言で睨まれる。ほら、可愛くないだろ。
「お待たせ。アルバム持ってきたぞ」
臣が1冊のアルバムを抱えて戻って来た。てっきり学内誌かデータを持ってくるのかと思っていたが、このご時世にわざわざ現像したのか。
「アルバムって臣さん…!」
「わぁ~! 早く見せてくださいよ!」
正反対の反応を示す兵頭姉弟に大らかな微笑みを向けながら、臣はアルバムを開いた。
「えっ…これって…」
「うわぁ、十ちゃん、お姫さまみたい…!」
臣の写真には、見たこともない兵頭が映っていた。良く晴れた青空を背に、砂浜を裸足で歩く女。細身のシルエットを描く真っ白なワンピースに身を包み、肩より伸びた髪を風に遊ばせて、こちらへとたおやかな笑顔を向けている。細い首から視線を下ろすと、くっきりとしたきれいな鎖骨が目に入る。ノースリーブのため、普段見ることがない細い肩と二の腕が惜しげもなくさらされている。普段は邪魔だというよく分からない理由で潰されている胸元は、ふっくらと弧を描いて本来の体の線が出ている。丈はふくらはぎまであるのだが、光の加減によって足の線がうっすらとふとももまで布地から透けて見えるのがなまめかしい。ぱらり、ぱらりとページをめくるたび、兵頭が知らない女になっていく。
「ヒョードルすっげー、デルモじゃん!」
「これマジで十座さんか…?」
「姉ちゃんのこんな格好、初めて見た…」
「十ちゃんすごい、とってもきれいだよ!」
「ま、オレが作ったワンピース着てんだから当然だよね」
「もうどうにでもしてくれ…」
仲間たちは顔を真っ赤にして丸くなる兵頭を置き去りにして、口々に賞賛の言葉を漏らしながら写真に夢中になっている。俺も写真の中の女から目が離せない。
「大学生活最後の学内コンクールだったから、やけに気合が入ってなかなかイメージが固まらなくて困ってな…。それで十座と幸に泣きついたってわけだ」
「みんなには内緒にしといてくれるって言うから…」
対する兵頭は周知の余り半泣きだ。よっぽど見せたくなかったらしい。でも、葉星大のやつらはこれを見てるってことだよな。そう思うと、途端に腹が立ってきた。
「いや~、すまんすまん。やっぱり自慢したくて。なんてったって大賞だからな」
「すごいっすよね、結構応募数多いし、レベル高いんだよ、うちのフォトコン」
綴は自分事のように少し得意げだ。仲間が評価されるのは嬉しいことだが、今の俺はそれどころじゃなかった。
「今回は完全に被写体に助けられたな~。ほら、次のがその写真」
臣がそう言ってページをめくると、ひときわ美しい笑顔か現れた。
「これは……」
初めに息を呑んだのは誰だろう。分からないくらい、俺たちは同じ感想を胸に宿した。きれいだ、とても。さっきまでの写真は海と空に溶けるようなポートレート撮影がメインだったが、これはもっとずっと近くで撮ったものだった。臣が兵頭の肩に手を回して、自分の目線を意識した角度から撮ったようだ。兵頭は臣の腕の中にすっぽりと収まっている。カメラを見ずに目を伏せ、太陽の光を受けた兵頭の長いまつげが頬に影を落とす。それがなんとも幻想的で、現実離れした清廉さがあった。相手のことを信頼しきった、
愛情のほほえみ。こいつにこんな顔ができるはずないのに。いや、知らないだけだ。こんな、誰かを愛する女の顔をする兵頭十座を、俺が知らないだけなんだ。
「お、臣さん、みんなドン引きしてるじゃねぇすか……もういいだろ、勘弁してくれ」
オロオロと臣の腕を引っ張る兵頭に、頭の血管がブチ切れた。
「だからサムいって言ったじゃねぇかよ」
「…あ?」
視線だけで殺せるんじゃないかってくらいの眼差しが、俺だけに注がれている。ソファに深く腰掛けた俺を見下ろしてくる怒気を孕んだ瞳を見ていると、写真の中の女は別人だととしか思えなくて安心する。あんなのは兵頭十座じゃない。
「似合わねぇのに髪なんて伸ばして調子に乗ってよ。アホくせーと思わねぇの?」
違う、そんなことを言いたいんじゃない。兵頭の表情が少しだけ揺れる。クソ、はやく口を閉じねぇと。
「切っちまえよ、そんな髪」
兵頭の顔が一瞬だけ泣きそうに歪んだのを見て、それが言ってはいけない言葉だったのだと改めて理解した。だけど、後の祭り。
「―――そうか。分かった」
「は?」
兵頭はあっさりと答えた。一瞬、何が分かったのか分からないでいると、「週末には切ってくる」と続ける。どうしてこんな時にだけ、俺の言葉をすんなりと受け入れやがるんだ。
「兵頭、てめぇ…」
その本意を聞こうとして、突然俺の頭に力任せの拳骨が落ちてきた。喧嘩をしなくなって忘れかけていた、ガチめの暴力が頭の芯を揺らす。
「ってぇ! なにしやがる!!」
「九門!?」
焦る兵頭の声で、俺を殴ったのが九門だと知った。そしてすぐさま2撃目が来る気配がする。俺は反射的にで拳を握り、応戦の構えを取ったが2発目が飛んでくることはなかった。
「九門、やめろ」
兵頭が素早く九門の手を掴み、俺たちの間に割り込んで怒る弟を抱き込んで押さえつけている。
「離せよ姉ちゃん、 もう我慢なんねぇ! 姉ちゃんがどんな気持ちで髪伸ばしてんのか知らないくせに!!」
「はァ? どんな気持ちだって言うんだよ」
急に色気づいた兵頭の本心なんて知りたくなかった。臣に向かってあんな顔をするような女の気持ちなんて、ひとつしかないだろ。
「姉ちゃんはなあ! ここなら髪が伸ばせるって……」
「九門!!!!」
兵頭の怒声が談話室に響いた。
「ね、姉ちゃん」
聞いたこともないほどの怒号がビリビリと空気を揺らし、その場に居た全員が息を呑む。それを一身に受けた九門は、真っ青になって縮み上がっている。
「それ以上言うな。髪は切らねぇから、…頼む」
「…うん、分かった」
「悪いな。摂津も、すまなかった」
兵頭は一転、子供を宥めるように低い声で囁き、震える弟の頭を優しく撫でてから俺に向かって真っ直ぐに頭を下げた。俺がバカにした艶のある髪が、サラリと肩から滑り落ちる。
「なんでお前が謝んだよ」
「九門は俺の弟だ」
「はぁ? 意味わかんねぇ」
弟の不始末は姉の責任だとでも言うのかよ。話を聞きてぇのは九門の方だ。兵頭をどかして九門を捕まえようとした手を、バシンと強めに弾かれた。
「不快な思いをさせて悪かったな。…行くぞ九門、頭を冷やせ」
お前はそうやっていつも何も言わずに去っていく。拳で殴れば殴り返してくるくせに、言葉を返そうとはしてくれない。だから俺にはお前が分からない。それがどうしようもなく悔しくて、虚しかった。九門を伴って談話室を出ていった兵頭を追いかけられるはずもなく、無様に座り込む俺の前に肩を怒らせた影が落ちる。
「おい、ネオヤンキー」
幸の低い声が、やけに頭に響いた。
「アンタ、最っっっっ低」
「…フン」
そんなことは分かっている。女が自分の髪にどんな感情を持っているかを推し量る事なんて、別に難しい事じゃない。扱い方だって簡単だ。それなのに、相手が兵頭だというだけで何一つできやしない。もう限界だった。何かを言われるのも、考えるのもごめんだ。いちばん面倒くせぇのは、ただ女が髪を伸ばしただけのことにいちいちむかっ腹を立てる自分自身だ。俺はにわかに立ち上がり、談話室の扉を力任せに開いた。
「おい、万里。どこ行くんだ」
「…外」
臣の声を背に、俺は寮から逃げ出した。